エイズ裁判で証された“企業論理”

 

 提訴以来六年目に入った東京HIV訴訟はこの冬一番の冷え込みとなった一九九四年匸一月一九日、最後の証人尋問が行なわれた。今、五日に一人という頻度で死者を出している薬害エイズ裁判はこの日の口頭弁論ですべての証人尋問が終わり、来年春に結審する予定である。

 

 最後の証人として法廷に立つだのは被告の製剤メーカー、カッター社の元副社長シャッターライアン氏である。日本の血友病患者は長年、アメリカから輸入された非加熱濃縮製剤で治療しており、同剤によってHIVに感染した。したがってアメリカの製剤メーカーが、どこまでエイズの危険を察知し、どのような抗ウイルス安全対策を講じていたかが、この日の焦点だった。

 

 だが、法廷で明らかにされたのは、このうえなく杜撰な企業側の姿勢だった。まず非加熱濃縮製剤のHIV汚染が心配されていた八三年七月一九日、アメリカ当局には、血液製剤諮間委員会から恐るべき報告が寄せられていた。それは、ほんの二~四人のHIV感染者が、製剤の原料の供血者に交じっていた場合、全米および日本をけじめとする諸国で使用していたアメリ力製の非加熱濃縮製剤すべてが、HIVに汚染される危険があるというものだ。

 

 アメリカの非加熱濃縮製剤は売血により、年間八億単位という量が生産される。一人ひとりの供血者の血液はプールと呼ばれる大型タンクに集められ、最終的に二万五〇〇〇人ほどの血液と混ぜ合わされて製剤へと姿を変えていく。平均値ではアメリカの供血者は年間五〇回血を売る。そのたびにプールで大量の血液と混ぜ合わされる。こうして一人の血液が最大限全体の三分の一近くの二億五〇〇〇万単位に影響を及ぼすという統計だ。

 

 理論上二~四人の感染者が一年問供血を続けただけで、非加熱濃縮製剤全体が汚染される危険かおるわけだ。

 

 諮問委員会のこの指摘に加えて、同じく八三年八月八日には、カッター社の顧間弁護士によるエイズシナリオと題された内部メモが作成されていた。内容はこのままでは、血友病患者が大量にエイズに感染し、カッター社は大量訴訟に直面せざるをえないというものだ。

 

 このような危険性の指摘の中で、製剤メーカーがとった手立てはスクリーニングだ。同性愛者など、いわゆる(イリスクグループと呼ばれた人々を間診によって供血者から外していく方法だ。この方法がどれほど効果的かは疑問である。

 

 例えばテキサス州オースチンでは、カッター社に定期的に売血をしていた三〇歳の黒人男性が、八三年九月二二口に突然入院した。そして1ヵ月後のI〇月二一口、彼は死亡した。明らかにエイズ死だった。

 

 死の直前まで、彼は検査を通り供血することができたのだ。スクリーニングがほとんど機能しなかったわけだが、そもそもスクリーニング自体を製剤メーカーは重要視していなかった。

 

 ライアン証人は法廷で述べた。

 

 「スクリーニングを始めてからも、そうしていない製品は回収しませんでした。なぜなら、製剤が不足しますし、それに他のメーカーもしていませんでしたから」

 

 売る物がなくなるよりは、危険でも売るほうがよい、利益を上げるはうがよいという典型だ。

 

 だがそれでもアメリカでは、加熱処理によってエイズウイルスを殺しか加熱濃縮製剤を八三年三月には導入し始めた。そして徐々に加熱濃縮製剤へと切り替えていった。そのときカッター社は再び内部メモで非加熱濃縮製剤について書いているI(このような危険な製剤を)「口本は輸入禁止にするだろう」と。

 

 ライアン証人も述べたI「もし日本が抗ウイルス対策を要求すれば私たちは応じました」と。だが、日木側はウイルス対策を要求するどころか、正反対の行動をとった。厚生省も医者も「非加熱濃縮製剤は安全だ」と繰り返し、少なくとも八五年七月まで日本の血友病患者に使わせ続けたのだ。

 

 アメリカの製剤メーカーよりもなお杜撰かつ無責任な日本側の姿勢が目立つばかりである。