薬害エイズ禍拡大のからくり

 九六年二月二一日、菅厚生大臣が設置した調査委員会によって一九八三年当時、エイズ研究班でどんな議論が行なわれていたかに関する資料が公表された。

 

 これは六年間にわたる東京HIV訴訟で。原告側か提出を求めたにもかかわらず、繰り返し存在が確認できないといわれていた資料だ。

 

 六年間も探し続けてこれまでみつからなかったはずの資料が、倉庫でも書庫でもなく、多勢の官僚の机の並ぶフロアの書棚でみつかっかそうだ。あまりに白々しいが、内容のあらましをみると、厚生省がなぜ、嘘に嘘を重ねてこの資料の存在を隠し続けてきたかがわかる。厚生省内では、当初から非加熱濃縮製剤が危険だとの認識があったこと、そのため安全な加熱濃縮製剤への切り替えは、八三年一一月という早い時期にも可能だとの議論もされていたこと、ただし、その場合、加熱濃縮製剤の開発で後れをとっている国内メーカーの売上げへの影響はどうなのかと心配する声があったことなど、実に生々しい内容なのだ。

 

 公表された資料から浮かんでくるのは、国民の生命など気にかけずに、まるで車やコンピュータ市場をみつめるような冷徹な目で血液製剤市場を眺めている姿勢である。

 

 公表された資料でも明らかなように、当時日本にさかんに輸入されていた非加熱濃縮製剤の危険性は、エイズ研究班でも認識されていた。もちろん、研究班を設置した厚生省こそがその危険を最も鋭く察知していたはずだ。

 

 そして、安全な加熱濃縮製剤に切り替えての輸入が、手続きの時間を考えても八三年一一月には可能だと論議しておきながら、輸入を許可した場合の日本のメーカーとくにミドリ十字の損失を考えるのだ。結局、加熱濃縮製剤への切り替えをそれからはるかに遅い八五年七月までのばした。

 

 この人命軽視の政策が生まれた背景には、ミドリ十字による猛烈な政界、官界への働きかけがあったと考えるべきだろう。

 

 二月二〇日の国会で明らかになったことは、ミドリ十字自民党に八二年から九四年まで一億円を超す政治献金をしていたことだ。梶山宣房長官は「ないことにこしたことはないが……」とコメントしたが、むしろ、解明すべきは、表に出されている政治献金ではなく、ひそかに、厚生族といわれる政治家たちに渡された政治献金がどれはどの額にのぼるかという点であろう。

 

 またもう一つの側面は、厚生官僚だもの製薬業界への天下りの多さである。これまで厚生省薬務局から製薬業界に天下った官僚はI〇〇人近くにものぼる。おまけに、八三年当時のミドリ十字の社長は、松下廉蔵氏である。彼は厚生省薬務局長経験者の天下りだった。副社長の小玉知己氏も松下氏と同じく元薬務局長だ。さらに今村泰一取締役も厚生省からの天下りというのは、あまりに衝撃的である。

 

 加熱濃縮製剤の開発で最も遅れていたミドリ十字にとって、厚生省やエイズ研究班が、エイズ防止のためとはいえ、外国企業の加熱濃縮製剤を日本市場に入れるとなると、大打撃となる。国内市場の五〇%のシェアを誇っていた同社にとってそれは存在の危機を意味する大事件のはずだ。このような危険に直面して、それまで長年にわたって献金し、天下りを受け入れ、高額の給与や手当てを払ってきた貸しを、ミドリ十字がI気にとり戻すべく暗躍しかと考えるのは、ごく自然な推理だ。

 

 薬害エイズ禍をここまで広げた本当の。犯人”を見つけ出し、真相を明らかにするには右のようなミドリ十字対外国の製薬企業の戦いを軸に、もう一度、事件全体を解明しなおす必要があるだろう。

 

 同時に、厚生官僚の嘘について、私たちはもっと厳しい姿勢で臨むべきだろう。HIV訴訟の法廷でも国会でもインタビューでも、厚生省側は信じ難いほどの嘘を重ねてきた。その嘘のつきっぷりは、実際に取材を重ねてきた私にとってまさに想像を超えたものだった。当時の担当課長郡司篤晃氏は今偽証罪で告発されているが、歴代の薬務局長らにも同様の罪を問い、事実を明らかにさせるべきだと、私は強く思う。