HIV訴訟での井出厚相の言明

 

 提訴から五年五ヵ月、東京HIV訴訟が一九九五年三月二七日、ようやく結審した。東京地裁一〇四号法廷は、原告らによる最終意見陳述を聞こうとする人々であふれ、人員整理で開廷が三〇分も遅れるほどだった。

 

 法廷には原告三人が意見陳述のために出廷し、初めて衝立の陰に隠れることなく傍聴人の前に立った。三人それぞれに、涙なしには聞けない思いを結審に当たって述べたが、原告番号八番でペンネーム草伏村生さんの陳述はとりわけ胸に迫るものだった。

 

 草伏さんは発病前には五三キロあった体重が今は三六キロだ。食欲がないうえに下痢が続く。この日も氏は紙おむつを当てて出廷に備えていた。

 

 お会いするたびに、頬の肉がそがれていくのがわかる。その体は力を失いつつある。上半身裸の写真を見せてもらったが、それは氏が法廷で描写しかように、まさに「筋肉も脂肪もそげ落ち、骨の上に皮が張りついたミイラのような姿」である。

 

 草伏さんは陳述したI「これまで、私の周りでは七人の友人がエイズで死んでいきました。彼らはやせ細り、痛みに苦しみながら果てました。食欲がないまま、生きるために、苦痛に耐えて食事をしていた彼らの姿が、今の私の姿です」

 

 「八七年九月に私自身の感染を知った翌日の夜、体がカタカタと震えて止まりませんでした。それは、なぜ私かエイズで死ななければならないのかという絶望と、血液製剤企業と国に対する怒りでした」

 

 草伏さんは九州のある小さな都市に住んでいる。その町には五〇人の血友病患者がいて、半分の二五人がHIVに感染させられた。うち七人が、先述のようにすでに死亡してしまった。だが、そのうちだれも満足な治療を受けたものはいない。

 

 「22歳の友人は、感染を気取られないようにするため、無理に無理を重ねて健常人と同じように働き、突然倒れて死んでいきました。一〇代の青年は最後まで感染の事実を告知してもらえず、エイズウイルスに肝臓も腎臓も侵され、腹水のたまった体に歯ぎしりをしながら絶命しました……。

 

 今年(一九九五年) 一月に亡くなった友人は、造血機能を破壊され、意識障害を起こし、体中に走る痛みと激しい疲労感を訴えて果てました。

 

 なぜHIV感染者への診療拒否が続くのか。どうか、これ以上、私たちを見殺しにしないでください」

 

 草伏さんの語る地方都市の患者の実態は、東京など大都会の患者の実態よりさらに悪い。この地方都市でまともな発症予防治療を受けてきたのは、五〇人中草伏さんだけである。それは  彼が、告知も発症予防の治療もしてくれない地元の主治医に頼っていては、確実に早く死ぬと悟り、自ら東京大学附属医科学研究所に通院してきたから可能だったのだ。

 

 「以前はエイズなんかに負けるものか、と考えていました。でもこのごろ、私はやはり負けるのかなと、これは私の体が私の心にメ。セージとして伝えてくるんです」-こう語る草伏さんの免疫数値は八から一四の間である。健康な人問の1000から一五〇〇に比べると、その絶望的な低さが理解できる。

 

 「私たちは裁判で、この薬害がなぜ生じたのか、真相を明らかにして国と製薬メーカーの責任を明らかにしたい。私たちの命はなんなのか。私たちの命は私たちのものだ。製薬メーカーや国に収奪されるための命ではない」

 

 草伏さんの、まさに最後の力をより絞って訴えた声が耳に残る。だが信じがたいことに、井出正一厚相は「厚生省に責任があるとは考えていない。今、和解は考えていない」と結審後に述べた。井出氏は本気でそう思うのか。官僚に言われたとおりに発言しただけなのか。いずれにしても、あまりに事実認識に欠ける発言だ。厚生大臣ならばせめて患者の声に真摯に耳を傾けよ、五日に一人、患者が薬害で死に逝く現実を見つめよ。そして一目も早く国も企業も謝罪し支援対策に乗り出してほしい。