安部英・元帝京大副学長の責任逃れ答弁

 一九九六年四月一七日、参議院の厚生委員会に元帝京大学副学長で元エイズ研究班班長の安部英氏が参考人として呼ばれた。川会による薬害エイズの真実究明作業の第一歩となるはずの参考人招致である。安部氏は先陣を切って質間した委員長への答えを出す前に、まず、非加熱濃縮製剤によってHIVに感染させられ病んでいる患者たち、またはすでに亡くなった患者たちの遺族に冒頭「挨拶」をした。

 

 「この場で、患者の皆さま方に心からお見舞い申し上げ、(亡くなった患者の)ご家族の皆さまに心からお悔やみを申しあげます」というものだった。「お見舞い」と「お悔やみ」は表現したが、そこには自分の非を認め「謝罪」しようという気持ちは欠落している。エイズ研究班班長としてエイズ対策を定め、それによって百八〇〇人を超える人々が、不治の病にかかったことは、自分の責任の埒外との姿勢をまず明確にした。その姿勢のとおり、安部氏の答弁は終始、責任逃れという視点で練り上げられていた。同時に、氏の答えは巧みに整理されてもいた。その整理のされ方は、例えば次の例をとおして浮かびあがらせることができる。

 

 八三年九月、全国ヘモフィリア友の会(血友病患者の団体)が厚生省に薬の安全性を高めて ほしいとの要望書を提出したが、この要望書の内容に、安部氏が無理に加えさせた項目があり、この点についての質問が発せられた。要望書には当初、四項目の「お願い」が書かれていた。第一は血液製剤および原料血漿の安全基準を設けること、第二はFDA(アメリカ食品医薬品局)の勧告以前に製造された製剤を回収することだった。FDAの勧告は八三年三月二四日に出されたもので(イリスクグループから採取した血液の使用禁止を謳っていた。第三の要望は安全とされていた国内血による製剤の増産。第四は加熱濃縮製剤の早期導入だった。

 

 第一と第二の要望はアメリカからの非加熱濃縮製剤の杣人禁止を事実上の目的としたものだった。患者たちは、加熱濃縮製剤の導入を求めると共に、加熱濃縮製剤が手に入るようになるまでは国内血でつくった製剤に戻りたいと考えていたのだ。国内血で製剤をつくる場合、量的問題を解決するためには、製剤はクリオと呼ばれるタイプになる可能性が高かった。もし、この要望書どおりに対策がとられていれば、今日私たちが直面しているほどの薬害エイズの悲劇はおきてはいなかったはずだ。

 

 だが、安部氏は、当時使われていた非加熱濃縮製剤以前に血友病治療の主軸であった、このクリオ製剤を徹底的に排除しようとした。エイズ研究班の下の血液製剤間題小委員会のメンバーを集め、「ちょっと嘘になるかもしれないが」と前置きして、クリオではだめだと主張し、クリオ推進論者を論破する可能性などを述べている安部氏のテープが残っている。

 

 また安部氏は八三年八月一四日に患者会の幹部に会い、「クリオに戻るなんていう要望は出してはいけない」と指示しかと患者側は証言している。こうして患者会の代表も説得され、要望書に、新たに一項目をつけ加えることになってしまった。内容は血友病の治療水準を後退させないではしいというものだった。事実、一世代前の治療薬であるクリオではいやだというものだ。この項目を加えたことで患者たちはのちのち、厚生省に「治療法を変えようと考えても、患者の方々がいやだとおっしやった。したがって非加熱製剤を使い続けたのはやりをえなかった」といかれ、責任をかぶらされてきたのだ。

 

 問題の項目のつけ加えに関して安部氏は「患者会の方が、私にそのことを進めてくれとおっしやっても、私は研究班の世話役はしたが行政的なことについては力がないのです。学間的に書いたりはできるが、行政に影響力を及ぼすことはできないのです」との旨答えた。

 

 問いに対してストレートに答えていない。それ以上に研究班班長は学間的にエイズ対策をみたのであり、行政判断に結びつくものではないと述べた点が狡猾で巧みである。

 

 人間的にHIVを論ずるのが安部氏の役割なら際限なく議論は厳密になっていく。その結果、タイミングもずれ、エイズウイルスが学問的に特定されるまで対策はとれないということにもなる。こうして「学者」安部英氏には責任はなくなる。このうえなく便利な逃げ道がそこにみえてくるのだ。