遺伝子組み換え作物の生産は地球環境問題の解決になるのか?


 遺伝子組み換え作物の生産は、特定品種の栽培につながり、生態学的には極めて不安定な生産体系となる。不耕起農法が強調されるが、農薬や化学肥料に頼る点は変わらない。農薬耐性作物は、むしろ農薬の使用が固定化され、使用の増加にもつながることになる。害虫耐性作物は生態系を乱す危険性が高い。

 これら危惧が現実のものであることは、グリホサート、グルホシネート、ブロモキシニルなどの農薬で、使用対象作物が増やされたり、残留農薬基準が緩和された前述の例や、Bt遺伝子組み換えトウモロコシの花粉が蝶(オオカバマダラ)の幼虫の成長に影響を与えたという米国コーネル大学報告などによっても明らかである。

 今後、多収穫型の作物の開発が進むと、さらに農薬や化学肥料が多量に使用されることになる。窒素代謝を可能にする遺伝子の組み込みに成功すれば、窒素肥料の削減につながる画期的な技術開発となるが、その実現は技術的にほど遠い。

 結局、遺伝子組み換え技術による作物の生産方法は、従来の持続不可能な食料生産システムを踏襲している。土壌の荒廃や流失、環境破壊をもたらした従来の農法を延命させ、力づけることになる。従来農法の矛盾が拡大することはあっても、地球環境問題の解決にはつながらない。いま求められているのは、行き詰まった従来型農法ではなく、有機農法など持続可能な農業生産システムへのバイオ技術の応用である。

消費者が望んでいるのか?

 遺伝子組み換え食品に、好ましい形質を導入することが意義、目的の1つとされている。好ましい形質としてあげられたなかに、消費者の好みの食品開発という主張にはとうてい同意できない。「味や香り、歯ごたえなど消費者の好みに近づける」とあるが、その好みは消費者が要求したものでなく、企業が商品として開発したい「好ましい形質」にすぎない。

 以上、企業や行政が主張する開発推進の大義名分を検証してきたが、消費者を納得させる意義や目的に説得力は見られない。遺伝子組み換え技術の開発は国家的にも重要課題であり、他国の技術開発に遅れをとることはできない。ここでは遺伝子組み換え技術の開発の必要性を否定するものではない。今後、状況によっては食品に組み換え技術が必要になる時もあろう。そのための技術開発は必要である。しかし、安全性に疑義がある現状で、あえて遺伝子組み換え技術を食品生産に応用する意味が問われている。現時点で、生命や健康を損なうリスクを侵してまで遺伝子組み換え食品を開発する意義や特段の有用性は見いだせない。生物の本質ともいえる遺伝子を自在に操作することを可能にした遺伝子組み換え技術は、核分裂の発見に匹敵するような科学史的に時代を画する発見といえる。人類の行く末に計り知れない影響をあたえる巨大先端技術である。かつての最先端科学技術であった核分裂技術がたどった道は、兵器の開発であり、原子力発電への利用であった。 60年後の現在でさえ、技術的な未成熟さが克服されずにいる。

 先端科学技術は、確かにさまざまな恩恵を私たちにもたらした。しかし、常にプラス内面が偏って評価され、開発にともなうマイナス面が配慮されない本質的な欠点をさらけ出している。原子力発電は夢のエネルギーを生みだすと宣伝されたが、いまもって安全性と放射性廃棄物の問題を克服できていない。夢の材料とされたプラスチックに代表される先端科学技術であった石油化学は、ダイオキシン汚染や環境ホルモン汚染をも生みだした。

 遺伝子組み換え食品の開発が今、これらと同じような夢を振りまいている。組み換え食品のプラス面ばかりが強調され、技術自体の欠点や生態系への悪影響、安全性などさまざまな懸念を見据えようとしていない。これまで先端科学技術がたどった同じ轍を踏もうとしている。

 厚生省のある担当官は、「遺伝子組み換え食品も従来の食品も判断基準は同じで、現在の科学的知識で判断して安全である」と発言したことがある。安全と決めつけてしまえば、今後の安全性の検証は不要になってしまう。他に選択の余地がない判断のように受け取れるが、決してそうではなく、遺伝子組み換え食品についてさまざまな科学的警告がなされている。厚生省担当官の発言からうかがえることは、水俣病や、サリドマイド、合成ホルモンのDESなど薬害、血友病患者のエイズ感染などの教訓を生かそうとしていないことである。将来のリスクを予防する観点から安全性を評価することは、困難な判断だが、それを担うのが科学や行政の役割といえる。