臨床試験の透明性・客観性・信頼性


 第1相から第3相までの試験課程で、実は3点のポイントがあった。「あった」と過去形にしたのは、過去の犠牲者の教訓にたって、ようやく揺るぎない臨床試験実施要項(GCP)ができあがったからである(97年、新GCPを施行)。

 ポイントの第1点は、患者での臨床試験が、患者本人の承諾を得ているかどうかである。90年10月に厚生省はGCPという新薬開発の実施基準を打ちだした。これには被験者に対し、「文書または口頭」での合意が必要、と盛り込まれていた(それまでは野放しだったのだ)。だが97年までは、文書の合意はほとんどなく、すべてが口頭での合意となっていた。文書にすると、被験患者が集まらないからである。口頭であれば、「被験」を「治療」に置き換えて、いくらでも患者(または家族)を説得することができる。患者は医師にはなかなか逆えない (もちろん医師も患者を説得する際、逡巡するのだが)。

 第2点は、治験データは副作用も含めて「信頼性」が保証されているのかどうか。一応先のGCPによって、製薬企業と病院が「臨床試験契約」を結ぶことになっているが、治験医が投薬量と患者の変化を誠実に記載しているのかどうか、チェックが必要だった。この場合、製薬企業から治験病院に支払われる臨床試験費用(研究費、奨学寄付金などの名目) の基準と金額も明確にすべきだったが、そこまでは改善されていなかった。今でこそ不明朗な「研究費」はなくなったと思われるが、かつては「研究費」という名の過剰接待や海外接待旅行など日常茶飯事だった。それを勘案すると、医師には失社だが、「治験データ」を素直に信頼する気になれない。

 ただし、日本製薬工業協会が自主的に作成した基準はある。「医薬品の臨床試験の依頼に係わる研究費等の取り扱いに関する網領」というもので、これには事細かく費用が分類されている。一言でいえば、実費以外はもらってはダメ、研究費等でもらう場合は、個人ではなく医療機関内の組織にすること、アドバイス料は社会通念上を超えないこと、となっている。これを完全に遵守するとなると、医師にとって、臨床試験は限りなくボランティアに近くなり、やる気を喪失させてしまう。これもまた1つの現実である。

 ここで必要なのは「治験査察官」(臨床試験査察官) の強化である。臨床試験医と製薬企業は、治験契約を結ぶにあたって、「治験実施計画書」(プロトコル)を作成する。査察はそれに従って(患者のカルテと照合しながら)、治験医が忠実に実施しているかどうかチェックするのである。アメリカではFDA(食品医薬品局)職員の身分で約百人の査察官がいる。彼らのチェックによって、治験違反医師はブラックリストに載せられる。しかもこれは原則公開だから、新薬データの信頼性は極めて高い。つまり、治験の主導権を医師から第三者に移動するのである。これだけでもイリビアカンの死亡事件を防げたはずだ。また、かつて起きた「臨床試験データねつ造事件」も起きなかったはずである。

 第3の問題点は、抗ガン剤に限って、第2相試験を終えた後、第3相試験を待つまでもなく、新薬の認可を受けて市販できるという不可思議さである。一応、第3相試験も義務づけられているが、それは市販後のデータとなる。この点を大学病院の医師に聞いても、ほとんどが答えられない。こういう見方をする製薬関係者もいる。

 「確かに抗ガン剤だけを、第2相試験の段階で認可するのはよくない。これは政府と製薬企業の癒着を物語るものです。-抗ガン剤を市場に出すだけでも大変な年月と費用がかかります。それを第2相段階で商品化してしまえば、それだけ開発費の回収が早くなります。いってみれば、厚生省の製薬企業に対する保護策です」

 が、厚生省は業界保護策を放棄した。今後、抗ガン剤の審査はより厳しくなると思われ

 では新薬がクリアしなければならない最後の(1ドル「中央薬事審議会」(薬事審)は何をしているのだろうか。実はこの存在が日本でまだ残っているサンクチュアリ(聖域)の1つだった。しかし、度重なるクスリの不祥事を踏まえて、96年3月、同会の「新薬の承認審査に係わる議事録」が公開されることになった。薬事審には、「調査部会」「特別部会」「常任部会」があり、この各段階の承認を得て、はじめて「新薬の承認」となる。

 治験はI病院では患者数が不足するため、複数の病院を加えなければならない。当然、大学病院とその関連病院が治験施設となる。権威者が一声かければ、抗ガン剤の臨床試験に必要な三百ぐらいの症例がすぐに集まる。具体的には、製薬会社が「第2相、第3相の治験」を医師に依頼する場合、その道の権威者を代表とする研究会を作る。薬害エイズの場合は、「血友病治療普及協会」たった。その会のメンバーには代表者に対立する人物は入れない。代表者の鶴の一声で症例が集まるようにする。

 会の目的は治験のプロトコル作成(治験計画書)とその調整だ。プロトコルの内容は、治験の目的、期間、症例数、患者の選定、投薬の仕方、検査項目、測定方法、禁止条項、副作用への対処方法、など。この代表者が集めた症例はほとんど薬事審をパスすることになる。薬害エイズでは、逆の圧力が作用し、加熱製剤への切り替えが遅れてしまった。しかし、この「権威者の鶴の一声は」は、「もう過去の話」ときっぱり否定する製薬関係者が多数いる。確かにそうした時代ではすでになくなっているし、臨床試験の透明的なシステムが確立されたことも両者の関係をドライにさせている。

 薬事審にほんの少し関わった医大教授がこう語ったことがある。

 「だいたいこの先生がいいだろうというと、あまりチェックはしないですね。抗ガン剤の場合は、副作用はあまり問題にならない。ガンがどれだけ縮小したか、どれだけ延命したか、を調べるだけです。二言でいえば、治験医性善説なんです」

 現在、臨床試験やそのデータを審議する薬事審は、その内容がかなり透明になってきている。チェックも厳しくなり、組織も改革された。以下の事件・事故は過去の教訓としての貴重な財産である。