刑事告発された郡司氏背後の闇

 九六年一月二五日、和解交渉が難航している薬害エイズ裁判でついに厚生省の当時の担当課長郡司篤晃氏が刑事告発された。

 

 告発事実は、東京HIV訴訟の法廷における偽証である。

 

 八三年、郡司氏は厚生省の薬務局生物製剤課長として、日本にすでにエイズウイルスが上陸していたのか否か、また最大の犠牲者グループになり得る血友病患者の治療薬、アメリカから輸人された非加熱濃縮製剤をどのように変更すべきかなどを検討する立場にあった。厚生省はそのため、八三年六月にエイズ研究班を設置し、会合を重ねた。

 

 この研究班でエイズがどのような経路をたどって感染すると認識されていたのかが、東京HIV訴訟で繰り返し尋問された点の一つだった。具体的にエイズウイルスはB型肝炎と同じような経路でうつっていくという認識が研究班にあったか否かがポイントだった。

 

 理由は、もしB型肝炎と同様の伝播の仕方をするなら、それは患者の血液と精液を介して感染するということであり、空気や衣服や食器などによってうつるものではないということになる。血液や精液でうつるのなら、血友病患者が治療に用いている非加熱濃縮製剤は、まさにエイズの媒介物となり得る。その場合一刻も早く、非加熱濃縮製剤に対してなんらかの対策を施すことが必要になってくるのだ。

 

 対策の一つとして、すでにアメリカで行なわれていた加熱処理がある。非加熱濃縮製剤を六〇度の温度で一〇~七二時間熱し、ウイルスを殺すというものだ。この加熱方式は、初めは肝炎対策として行なわれていたが、八三年には明確に、エイズウイルス対策としてアメリカに根づき始めていた。

 

 アメリカでは日本のエイズ研究班設置よりも早い段階の八二年一月に、医療従事者に対してエイズウイルスの感染経路はB型肝炎と同様であり、同様の予防措置を講すべきだと勧告していた。

 

 また医療間題を専門に扱う出版物MMWRは八二年一二月、薬物注射によってエイズに感染した母親と出産時に母親のエイズに感染させられた乳児の例を報告した。この例からもエイズ感染は「B型肝炎の疫学的様相を鏡のように映し出している」ものだと、アメリカのエイズ研究の第一人者トレーフランシス博士も述べている。

 

 郡司氏ら厚生省の役人も当時これらの情報を集めていたに違いないと思われる。しかし、氏の法廷での証言は、次のように、ことごとく予想に反するものであった。

 

 -エイズB型肝炎モデルと同じように感染するとすれば、これは大変なことですね。

 

「はい、しかし、そこはわかっておりませんでした」

 

B型肝炎は非常によく解明されていた病気ですし、B型肝炎との類似性を発見して、エイズに対してなにか新しい事実が出てくるという理解はその当時なかったと思います」

 

 などと氏は法廷で述べた。

 

 だが、八三年七月一八日、郡司氏らの主催した第二回研究班の班会で配布された資料にはこう書かれているI「伝播様式としては、B型肝炎に類似していると考えられている。すなわち、患者の血液、粘液を介して感染する可能性が強い」

 

 厚生省主催の研究班会でこのような資料を配っているのだ。また当時国立公衆衛生院疫学室長として班員の一人だった芦沢正見氏は「研究班のエイズ伝播に関する理解というか大前提は、B型肝炎と似た経路であるというのが九割方でした」とインタビューのなかで明言した。

 

 九割方そう思われており、それを裏づける資料も最近ようやく出てきた。そして郡司氏の法廷での「嘘」が明らかになった。

 

 八三年の旱い段階から知っていたこの情報を、なぜ郡司氏らは活用し得なかったのか、加えすがえすも残念に思うと同時に、郡司氏のような知性ある人がなぜ偽証したのか。その「嘘」は厚生省の立場を守るためなのか。背後に横たわるもっと深い闇を暴くのはむしろこれからの仕事である。          

 

厚生省の新たな犯罪

 一一月二八日、厚生省は非加熱濃縮製剤を血友病患者以外に投与してHIVに感染させる、いわゆる第四ルートの感染で、少なくとも13人が感染し、うち六人が死亡または発症していたことを発表した。

 

 本誌九五年号で報じた五〇代の男性も残念ながらこの死者だもの中に入る。彼は八五年、胃を手術したときに非加熱濃縮製剤を打たれ、知らぬ間に感染していた。私とのインタビュー後、一ヵ月もたたないI〇月末に、彼は無念のうちに息をひきとった。

 

 今回の厚生省の調査では全国五四四医療施設で、計三〇〇人弱の患者に非加熱濃縮製剤が投与されていたことがわかった。しかしHIVの抗体検査をした人は三〇〇人中わずか五四人である。その中の13人、つまり四分の一の人々がHIVに感染していたのだ。

 

 彼らが役与された非加熱濃縮製剤の圧倒的多数がグリスマシンというミドリ十字社の製品である。なぜこんなことになるのか。それはミドリ十字が他社に較べてより積極的に、というよりより強引に、非加熱濃縮製剤の売り込みをはかったからである。

 

 売り込みの生々しい実態を、同社の某幹部が語ってくれた。

 

 「症例の掘りおこしということがずいぶんいわれました。うちの主力商品であり、利益も多い非加熱濃縮製剤を、血友病患者だけでなく、ほかの患者にも使えないか、探すわけです。

 

 販売員に号令をかけて、売上げをグラフにしたりして、ノルマを課します。販売員は病院などをまわり、各病院の手術の予定などをみせてもらって、その中から、非加熱濃縮製剤を使えそうなケースをみつけるのです。みつけたら担当の医師を訪ねて売り込みます」

 

 だが、医師はそんなに簡単に非加熱濃縮製剤を使用するのだろうか。しかも、この幹部の話しているのは、八四~八五年という時期だ。当時、非加熱濃縮製剤によるHlV感染の危険はすでに報道され問題になっていた。同幹部はしかし次のようにいった「いきなり訪ねていってもそれはとてもドクターは耳を貸してくれません。ですからそれまでに何年もかけて、ドクターとの信頼関係を築くわけです。カネの世話から女性の世話、ときには、ドクターの家庭にまで入り、小さな子供がいれば子守りをしたり・・::なにからなにまでいわれたことはすべてこなすのです。そうした便宜をこれ以上ないほどにはかると、ドクターもこちらの頼みをきいてくれます。こちらのいう薬がよいからというより、ふだんつくしていることへの返礼という意味でうちの製品を使ってくれるのです」

 

 私の手元にはミドリ十字の出版物、「拡売ニュース第四三六号」がある。八四年一月二四日付けだ。内容は同社の非加熱濃縮製剤グリスマシンがいかに優れたものであるかを強調したうえで「グリスマシンの安全性が高く証明された」、エイズなど免疫機能をおとすのは「なにも第  八因子製剤(血液製剤)に限らない」などとなっている。

 

 繰り返しになるが八四年末といえば、グリスマシンをけじめ非加熱濃縮製剤の危険性がたびたび論議され、世の中は、非加熱から加熱濃縮製剤に移ろうと準備していたときである。その時期にこのような小冊子を配り、あらゆる便{且をはかって医者を掌中のものとし、人々にHIV汚染の製剤を投与し続けたのだ。ミドリ十字をけじめとする製薬メーカーの罪は断じて許せない。

 

 だが、もっと許せないのは厚生省である。

 

 厚生省は第四のルートのHIV感染を咋年六月には報告されていた。しかし一部について実態調査を始めたのは一年後の今年五月だ。九月に二度目の調査をした。大ざっぱにいって、まだ八割以上の医療機関が調査されていない。

 

 第四ルートの感染者はおそらく数千人にのぼるだろう。その人々を放置し続けるのは自らの罪を隠す意図に根ざした厚生省の新たな犯罪である。             

 

HIV訴訟、魚住和解案の”心”

 一九九五年一〇月六日、東京地裁魚住裁判長によるHIV訴訟の和解案が提示された。内容は画期的だ。

 

 裁判全体に対する裁判所の考え方をまとめた「所見」は、まず血友病患者らが「医師の勧めに従い」、「ひたすら有効な薬剤と信じて」非加熱濃縮製剤を用い、HIVに感染した。その結果、多くの社会的偏見に見舞われた。このようなことは「社会的、人道的に決して容認できない」と述べる。このくだりに原告患者の苦しみに対する裁判所の理解が反映されている。

 

 「所見」はさらに被告らの責任について「厚生大臣は……与えられた権限を最大限に行使して……医薬品の副作用や不良医薬品から国民の生命、健康を守るべき責務がある」と述べる。報の収集に努めており」、「エイズの原因が血液または血液製剤を介して伝播されるウイルスであるとの疑いを強めていた」、「エイズ研究班でも、エイズはウイルス感染症である可能性が高いことを前提として議論が行なわれた」、「このような状況下では厚生大臣血液製剤を介して血友病患者がエイズに罹患する危険があることを認識し得た」と明白に言い切っている。「エイズがウイルスによってうつされるものだとは知り得なかった」、「未知の病原菌への対策ほとりようがなかった」と一貫して主張してきた厚生省に対し「国はそれを知り得た」、しかもその時期は八三年という早い時期だったと、裁判所は決めつけたわけだ。その点にとどまらず「所見」は右のようなウイルス説は「科学者の常識的見解になりつつあった」というところにまで踏み込んだ。厚生省も製薬メーカーも「責任はない」という彼らの主張の根底を否定されたことになる。

 

 このように危険は察知できたにもかかわらず、厚生省は血液製剤の危険性について「十分な情報提供」をしなかった、「代替血液製剤確保のための緊急措置」をとらなかった、危険な血液製剤の『販売停止などの措置』をとらなかった、その結果「血友病患者のエイズ感染という悲惨な被害拡大につながった」と所見はさらに断じ、国および製薬メーカーは「重大な責任がある」といいきった。さらに「反省の意が表されてしかるべきだ」との表現で所見を結んだ。

 

 原告患者らは、和解案のかかに示されている一律四五〇〇万円の和解金の額や、それを国とメーカーが四対六で負担するなどの点は、あくまでも第二義的な間題だととらえている。彼らが求めているのは、薬害エイズをひきおこし、ひきおこした後も、それを隠し続けてきた日本の医療全体による責任の認定と謝罪である。過去の多くの薬害は、和解にしても判決にしても、被害者への償いは、患者への同情と施しが基調だった。今回の薬害訴訟が、過去のそれらと同じ結果になってはならない。あくまでも国の法的責任を明らかにすることによって薬害再発の愚を終わりにすべきだ。またそれこそが原告らの最大の願いではないか。

 

 にもかかわらず、森井忠良厚生大巨は厚生省が和解に応ずるとの決断は下したが、驚くことに次のようにも述べたI「厚生省の官僚たちも、よくみると、その時々、できる限りのことをしており、私は彼らによくやったとはめてやりたい」。厚生行政のもたらした結果について患者に謝罪しても、そのプロセスにおける官僚の。努力”を。ほめてやりたい”とはどういう論理なのか。官僚の掌の上で踊る無知なる政治家の姿しか私にはみえてこない。そんな情けない姿をみていると国と製薬メーカーの法的責任、将来の薬害再発防止の仕組み、補償額の設定など、この裁判の最終決着までにはまだ課題が多いと思わずにはいられない。

 

 行政側の反応とは対照的なのが裁判所の姿勢である。「魚住裁判長に敬意を表したい」との原告弁護団側の言葉に象徴されるように、和解案には人間としての心がこもっている。魚住裁判長の所見を高く評価したいと思う。 

 

 あきらかに従来よりも厚生大臣、つまり国の責任について幅広く解釈した見解だ。「所見」は、足かけ六年にわたる裁判で国が展開してきた「国に責任はない」、「HIVの発生原因は当時の情報では知り得ることはできなかった」との主張を一つ一つ明確に否定していった。

 

薬害エイズ被害者の新たなる提訴

 今週金曜日、九五年一〇月六日の六時に、東京地裁および大阪地裁でHIV訴訟に対する和解案が原告、被告双方に裁判長から提示されることになった。最大の焦点は、薬害エイズをひきおこしたことについて厚生省の行政責任をどこまで認めるかである。六年近い裁判の過程で、厚生省は一貰して国の責任を全面否定してきた。だが、その厚生省に対して新たな提訴が行なわれることになった。血友病以外の薬害エイズ被害者が初めて立ち上がったのだ。

 

 この原告は現在、入院中である。体調が悪く、一五分ほどのインタビューも、重く吐き出される息の下で行なわれた。五〇代のこの男性は、自分が薬害エイズにかかった経緯のあらましを語ってくれた。

 

 ちょうど10年前、彼は胃の手術をした。そのときに大量の輸血を受けた。輸血されたのがエイズウイルスに汚染された非加熱濃縮製剤たった。それはミドリ十字の製造したグリスマシンという製剤だった。本来なら、血友病Bの患者に投与されるものだが、血液を凝囚させる力が強いために大手術をした患者や出産時に出血の止まらない妊婦などに、積極的に用いた病院などがあった。かれは体調を崩し始めた数年前に、HIVに感染していたことを知らされたが、彼自身も医師も当初はその原因がわからなかった。

 

 彼にグリスマシンが投与されたのが八五年である。従来の非加熱濃縮製剤の危険性が大いに指摘され、加熱濃縮製剤へと切り替えられていた時期だ。にもかかわらず、彼には危険な非加熱濃縮製剤が大量に投与された。

 

 「ひどいもんです。治療するときも輸血するときもなんの説明もないんですから。告知されたときは頭の中が真っ白になって、かにも考えられませんでした」

 

 彼はエイズ発症の兆候でもあるカンジダ菌で白く染まった唇を舌で湿しながらこう語った。

 

 九月末に発表された厚生省の資料によると、血友病以外の患者に非加熱濃縮製剤を処方していた病院や医療施設は全国で少なくとも五四八施設に上る。これまでに判明した事例では、一つの医療施設でニケタの非血友病患者に非加熱濃縮製剤を投与していたケースもある。そのことから類推すると、五四八施設で用いられていたということは、少なくとも1000人単位の人々にHIVで汚染された血液製剤が処方されていたことになる。まさに寒心の数である。

 

 こうした人々が感染しているか否かを、今すぐに調査して、感染者には発症予防の医療を受けさせニ次感染を起こさせないために生活指導をしていく必要がある。

 

 では厚生省はどんな調査をしたか。厚生省が医療施設に出した通知は、血友病以外の患者に非加熱濃縮製剤を用いたことがあるか、あるなら対象患者は何人か、彼らに対してエイズ検査をしたことがあるか、もしあるならHIV感染者は何人か、という簡単な内容である。

 

 「早く調査せよ」などという文言はどこにもない。それどころか、厚生省は訓査に対して消極的だ。この問題がマスコミによって指摘され始めてからでもすでに足かけ二年が過ぎた。その問、厚生省はなにも手を打たなかった。

 

 その理由を厚生省感染者発症予防・治療に関する研究班班長の山田兼雄教授は次のように推測して説明した「非血友病患者への血液製剤の投与はその多くが肝炎の患者などです。だとすれば、HIVで体調を崩すより肝炎のほうが(肝炎で亡くなるほうが)先ですからね」

 

 だがそれは暴論である。肝炎で命が危ない人ならHIVに感染させてほうっておいてよいとはいえないはずだ。まして今回提訴した患者は肝炎などではない。妊婦も子供も、不必要非加熱濃縮製剤で感染しているのだ。ほうっておけば二次感染も起きる。

 

 東京HIV訴訟での責任回避に力を入れるより、新たに判明しつつある薬害エイズも含めて、厚生省は深く反省すべきである。

 

〔追記〕

 この男性患者は苦しい息をしながら九五年一〇月に亡くなった。遺族は薬害エイズ訴訟の原告となる決意を固めた。第九次原告団の一員として一九九六年四月二六日に提訴の予定である。

 

無責任行政でHIV第四の犠牲

 非加熱濃縮製剤でHIVに感染させられた犠牲者は一八〇〇人の血友病患者だけではなかったことが、読売新聞などの調査で明らかになりつつある。

 

 咋年(一九九四年)七月には、ビタミンK依存性凝固因子欠乏症の九歳の女の子が、八五年の誕生時に打たれた非加熱濃縮製剤でHIVに感染していた事実が明らかになった。今年二月には、一〇年前に劇症肝炎の治療で非加熱濃縮製剤を打たれHIVに感染したI〇代の患者の事例が見つかった。さらにまた六月になって、別の10代の患者が血が固まりやすくなるプロテインC欠損症の治療に非加熱濃縮製剤を打たれて感染していたことも明らかになった。

 

 これまでHIVは性感染、母子感染、輸入非加熱濃縮製剤による血友病患者への感染がおもなルートとされていたが、血友病以外の患者への非加熱濃縮製剤の投与、いわゆる第四ルートでも犠牲者が出ていたわけだ。

 

 厚生省エイズ研究班が今月発表した調査では、全国で少なくとも三四の病院が、八七年までに計一〇〇人以上の血友病以外の患者に非加熱濃縮製剤を投与している。

 

 だがこれは全国一三〇〇の病院に間い合わせ、約七〇〇の病院から寄せられた回答を集計し  ただけのものだ。現実には、さまざまな理由で非加熱濃縮製剤を投与された患者数はもっと多いとみられている。

 

 エイズ診断を受けたことがなく、したがってエイズとは断定できないが、非加熱濃縮製剤を投与されていた患者が原因不明の免疫不全で亡くなったケースも報告されている。状況からみると、このケースがエイズ死である可能性は非常に高い。第四ルートによるHIV感染の被害はもう一つの薬害事件として、新たな悲劇の実態を私たちに突きつけつつある。

 

 この第四ルートの被害が発信しているメッセージはいったいなんだろうか。厚生省は、HIVに感染した血友病患者らによって提訴された東京HIV訴訟の法廷で、繰り返し、非加熱濃縮製剤は、血友病の治療のためにこそ必要だった。エイズウイルス混入の危険があったにせよ、血友病の治療のほうが優先されるべきだとの総合的判断が働いて、非加熱濃縮製剤が使われ続けた旨、主張した。医師たちの主張もまた同じである。

 

 しかし、今明らかになりつつある第四ルートの患者たちは、血友病の患者たちではないのだ。「エイズウイルス混入の危険を考慮してもなお、総合的に判断すると非加熱濃縮製剤を使用せざるをえなかった」などという言い訳はここではまったく通じない。

 

 輸入非加熱濃縮製剤を使わなくても、はかにいくらでも治療法のあった劇症肝炎、プロテインC欠損症などになぜ、エイズとの関連で問題視されていた非加熱濃縮製剤を医療関係者は使つたのか。しかも厚生省の調査では、彼らは八五年以降も、同製剤を用いているのだ。

八五年七月には、ウイルス処理の行なわれた加熱濃縮製剤があったはずだ。それにもかかわらず、非加熱濃縮製剤はいともやすやすと、患者たちの血管に注入された。八五年七月の加熱濃縮製剤に切り替えるとの決定にもかかわらず、厚生省が非加熱濃縮製剤を回収させなかったのはなぜか。

 

 それは、彼らが非加熱濃縮製剤によるHTIV感染の危険性について注意すら払わなかったということだ。あきれるほど無責任だということだ。

 

 もう一つみえてくる構図は、この非加熱濃縮製剤のもたらす薬価差益に、多くの医師たちが判断を狂わせられたということであろう。

 

 アメリカでは使用できなくなった非加熱濃縮製剤は半値以下にダンピングされて日本に輸出された。病院にとっては大きな薬価差益を生み出寸ことになる。そのため、非加熱濃縮製剤を常用する患者が病院の経営を助けたということさえもいわれているのだ。

 

 こうして無責任に投与された非加熱濃縮製剤の被害の実態はまだまだ埋もれたままだ。厚生省は徹底的な事実関係の究明を急ぐべきであろう。そのうえで、感染者たちにまず告知し、エイズ発症予防の治療を受けさせるのが、厚生省の責任である。

HIV訴訟での井出厚相の言明

 

 提訴から五年五ヵ月、東京HIV訴訟が一九九五年三月二七日、ようやく結審した。東京地裁一〇四号法廷は、原告らによる最終意見陳述を聞こうとする人々であふれ、人員整理で開廷が三〇分も遅れるほどだった。

 

 法廷には原告三人が意見陳述のために出廷し、初めて衝立の陰に隠れることなく傍聴人の前に立った。三人それぞれに、涙なしには聞けない思いを結審に当たって述べたが、原告番号八番でペンネーム草伏村生さんの陳述はとりわけ胸に迫るものだった。

 

 草伏さんは発病前には五三キロあった体重が今は三六キロだ。食欲がないうえに下痢が続く。この日も氏は紙おむつを当てて出廷に備えていた。

 

 お会いするたびに、頬の肉がそがれていくのがわかる。その体は力を失いつつある。上半身裸の写真を見せてもらったが、それは氏が法廷で描写しかように、まさに「筋肉も脂肪もそげ落ち、骨の上に皮が張りついたミイラのような姿」である。

 

 草伏さんは陳述したI「これまで、私の周りでは七人の友人がエイズで死んでいきました。彼らはやせ細り、痛みに苦しみながら果てました。食欲がないまま、生きるために、苦痛に耐えて食事をしていた彼らの姿が、今の私の姿です」

 

 「八七年九月に私自身の感染を知った翌日の夜、体がカタカタと震えて止まりませんでした。それは、なぜ私かエイズで死ななければならないのかという絶望と、血液製剤企業と国に対する怒りでした」

 

 草伏さんは九州のある小さな都市に住んでいる。その町には五〇人の血友病患者がいて、半分の二五人がHIVに感染させられた。うち七人が、先述のようにすでに死亡してしまった。だが、そのうちだれも満足な治療を受けたものはいない。

 

 「22歳の友人は、感染を気取られないようにするため、無理に無理を重ねて健常人と同じように働き、突然倒れて死んでいきました。一〇代の青年は最後まで感染の事実を告知してもらえず、エイズウイルスに肝臓も腎臓も侵され、腹水のたまった体に歯ぎしりをしながら絶命しました……。

 

 今年(一九九五年) 一月に亡くなった友人は、造血機能を破壊され、意識障害を起こし、体中に走る痛みと激しい疲労感を訴えて果てました。

 

 なぜHIV感染者への診療拒否が続くのか。どうか、これ以上、私たちを見殺しにしないでください」

 

 草伏さんの語る地方都市の患者の実態は、東京など大都会の患者の実態よりさらに悪い。この地方都市でまともな発症予防治療を受けてきたのは、五〇人中草伏さんだけである。それは  彼が、告知も発症予防の治療もしてくれない地元の主治医に頼っていては、確実に早く死ぬと悟り、自ら東京大学附属医科学研究所に通院してきたから可能だったのだ。

 

 「以前はエイズなんかに負けるものか、と考えていました。でもこのごろ、私はやはり負けるのかなと、これは私の体が私の心にメ。セージとして伝えてくるんです」-こう語る草伏さんの免疫数値は八から一四の間である。健康な人問の1000から一五〇〇に比べると、その絶望的な低さが理解できる。

 

 「私たちは裁判で、この薬害がなぜ生じたのか、真相を明らかにして国と製薬メーカーの責任を明らかにしたい。私たちの命はなんなのか。私たちの命は私たちのものだ。製薬メーカーや国に収奪されるための命ではない」

 

 草伏さんの、まさに最後の力をより絞って訴えた声が耳に残る。だが信じがたいことに、井出正一厚相は「厚生省に責任があるとは考えていない。今、和解は考えていない」と結審後に述べた。井出氏は本気でそう思うのか。官僚に言われたとおりに発言しただけなのか。いずれにしても、あまりに事実認識に欠ける発言だ。厚生大臣ならばせめて患者の声に真摯に耳を傾けよ、五日に一人、患者が薬害で死に逝く現実を見つめよ。そして一目も早く国も企業も謝罪し支援対策に乗り出してほしい。   

エイズ裁判で証された“企業論理”

 

 提訴以来六年目に入った東京HIV訴訟はこの冬一番の冷え込みとなった一九九四年匸一月一九日、最後の証人尋問が行なわれた。今、五日に一人という頻度で死者を出している薬害エイズ裁判はこの日の口頭弁論ですべての証人尋問が終わり、来年春に結審する予定である。

 

 最後の証人として法廷に立つだのは被告の製剤メーカー、カッター社の元副社長シャッターライアン氏である。日本の血友病患者は長年、アメリカから輸入された非加熱濃縮製剤で治療しており、同剤によってHIVに感染した。したがってアメリカの製剤メーカーが、どこまでエイズの危険を察知し、どのような抗ウイルス安全対策を講じていたかが、この日の焦点だった。

 

 だが、法廷で明らかにされたのは、このうえなく杜撰な企業側の姿勢だった。まず非加熱濃縮製剤のHIV汚染が心配されていた八三年七月一九日、アメリカ当局には、血液製剤諮間委員会から恐るべき報告が寄せられていた。それは、ほんの二~四人のHIV感染者が、製剤の原料の供血者に交じっていた場合、全米および日本をけじめとする諸国で使用していたアメリ力製の非加熱濃縮製剤すべてが、HIVに汚染される危険があるというものだ。

 

 アメリカの非加熱濃縮製剤は売血により、年間八億単位という量が生産される。一人ひとりの供血者の血液はプールと呼ばれる大型タンクに集められ、最終的に二万五〇〇〇人ほどの血液と混ぜ合わされて製剤へと姿を変えていく。平均値ではアメリカの供血者は年間五〇回血を売る。そのたびにプールで大量の血液と混ぜ合わされる。こうして一人の血液が最大限全体の三分の一近くの二億五〇〇〇万単位に影響を及ぼすという統計だ。

 

 理論上二~四人の感染者が一年問供血を続けただけで、非加熱濃縮製剤全体が汚染される危険かおるわけだ。

 

 諮問委員会のこの指摘に加えて、同じく八三年八月八日には、カッター社の顧間弁護士によるエイズシナリオと題された内部メモが作成されていた。内容はこのままでは、血友病患者が大量にエイズに感染し、カッター社は大量訴訟に直面せざるをえないというものだ。

 

 このような危険性の指摘の中で、製剤メーカーがとった手立てはスクリーニングだ。同性愛者など、いわゆる(イリスクグループと呼ばれた人々を間診によって供血者から外していく方法だ。この方法がどれほど効果的かは疑問である。

 

 例えばテキサス州オースチンでは、カッター社に定期的に売血をしていた三〇歳の黒人男性が、八三年九月二二口に突然入院した。そして1ヵ月後のI〇月二一口、彼は死亡した。明らかにエイズ死だった。

 

 死の直前まで、彼は検査を通り供血することができたのだ。スクリーニングがほとんど機能しなかったわけだが、そもそもスクリーニング自体を製剤メーカーは重要視していなかった。

 

 ライアン証人は法廷で述べた。

 

 「スクリーニングを始めてからも、そうしていない製品は回収しませんでした。なぜなら、製剤が不足しますし、それに他のメーカーもしていませんでしたから」

 

 売る物がなくなるよりは、危険でも売るほうがよい、利益を上げるはうがよいという典型だ。

 

 だがそれでもアメリカでは、加熱処理によってエイズウイルスを殺しか加熱濃縮製剤を八三年三月には導入し始めた。そして徐々に加熱濃縮製剤へと切り替えていった。そのときカッター社は再び内部メモで非加熱濃縮製剤について書いているI(このような危険な製剤を)「口本は輸入禁止にするだろう」と。

 

 ライアン証人も述べたI「もし日本が抗ウイルス対策を要求すれば私たちは応じました」と。だが、日木側はウイルス対策を要求するどころか、正反対の行動をとった。厚生省も医者も「非加熱濃縮製剤は安全だ」と繰り返し、少なくとも八五年七月まで日本の血友病患者に使わせ続けたのだ。

 

 アメリカの製剤メーカーよりもなお杜撰かつ無責任な日本側の姿勢が目立つばかりである。