HIV訴訟、魚住和解案の”心”

 一九九五年一〇月六日、東京地裁魚住裁判長によるHIV訴訟の和解案が提示された。内容は画期的だ。

 

 裁判全体に対する裁判所の考え方をまとめた「所見」は、まず血友病患者らが「医師の勧めに従い」、「ひたすら有効な薬剤と信じて」非加熱濃縮製剤を用い、HIVに感染した。その結果、多くの社会的偏見に見舞われた。このようなことは「社会的、人道的に決して容認できない」と述べる。このくだりに原告患者の苦しみに対する裁判所の理解が反映されている。

 

 「所見」はさらに被告らの責任について「厚生大臣は……与えられた権限を最大限に行使して……医薬品の副作用や不良医薬品から国民の生命、健康を守るべき責務がある」と述べる。報の収集に努めており」、「エイズの原因が血液または血液製剤を介して伝播されるウイルスであるとの疑いを強めていた」、「エイズ研究班でも、エイズはウイルス感染症である可能性が高いことを前提として議論が行なわれた」、「このような状況下では厚生大臣血液製剤を介して血友病患者がエイズに罹患する危険があることを認識し得た」と明白に言い切っている。「エイズがウイルスによってうつされるものだとは知り得なかった」、「未知の病原菌への対策ほとりようがなかった」と一貫して主張してきた厚生省に対し「国はそれを知り得た」、しかもその時期は八三年という早い時期だったと、裁判所は決めつけたわけだ。その点にとどまらず「所見」は右のようなウイルス説は「科学者の常識的見解になりつつあった」というところにまで踏み込んだ。厚生省も製薬メーカーも「責任はない」という彼らの主張の根底を否定されたことになる。

 

 このように危険は察知できたにもかかわらず、厚生省は血液製剤の危険性について「十分な情報提供」をしなかった、「代替血液製剤確保のための緊急措置」をとらなかった、危険な血液製剤の『販売停止などの措置』をとらなかった、その結果「血友病患者のエイズ感染という悲惨な被害拡大につながった」と所見はさらに断じ、国および製薬メーカーは「重大な責任がある」といいきった。さらに「反省の意が表されてしかるべきだ」との表現で所見を結んだ。

 

 原告患者らは、和解案のかかに示されている一律四五〇〇万円の和解金の額や、それを国とメーカーが四対六で負担するなどの点は、あくまでも第二義的な間題だととらえている。彼らが求めているのは、薬害エイズをひきおこし、ひきおこした後も、それを隠し続けてきた日本の医療全体による責任の認定と謝罪である。過去の多くの薬害は、和解にしても判決にしても、被害者への償いは、患者への同情と施しが基調だった。今回の薬害訴訟が、過去のそれらと同じ結果になってはならない。あくまでも国の法的責任を明らかにすることによって薬害再発の愚を終わりにすべきだ。またそれこそが原告らの最大の願いではないか。

 

 にもかかわらず、森井忠良厚生大巨は厚生省が和解に応ずるとの決断は下したが、驚くことに次のようにも述べたI「厚生省の官僚たちも、よくみると、その時々、できる限りのことをしており、私は彼らによくやったとはめてやりたい」。厚生行政のもたらした結果について患者に謝罪しても、そのプロセスにおける官僚の。努力”を。ほめてやりたい”とはどういう論理なのか。官僚の掌の上で踊る無知なる政治家の姿しか私にはみえてこない。そんな情けない姿をみていると国と製薬メーカーの法的責任、将来の薬害再発防止の仕組み、補償額の設定など、この裁判の最終決着までにはまだ課題が多いと思わずにはいられない。

 

 行政側の反応とは対照的なのが裁判所の姿勢である。「魚住裁判長に敬意を表したい」との原告弁護団側の言葉に象徴されるように、和解案には人間としての心がこもっている。魚住裁判長の所見を高く評価したいと思う。 

 

 あきらかに従来よりも厚生大臣、つまり国の責任について幅広く解釈した見解だ。「所見」は、足かけ六年にわたる裁判で国が展開してきた「国に責任はない」、「HIVの発生原因は当時の情報では知り得ることはできなかった」との主張を一つ一つ明確に否定していった。