だれのための「副作用被害救済基金」か

 医科歯科大学助教授の片平洌彦氏の著書『構造薬害』(農文協)を読むと、なるほど日本の薬害の数々は、構造的要因によって発生したことがよくわかる。

 

 構造的要因の最たるものは、「情報隠し」が厚生省と製薬企業の双方にあることであり、そのような実態が事実上おとがめなしで容認されていることである。この実態を変えて薬害被害を再発させないためにはどうしたらよいかが、遅まきながら今、検討されている。だが、情報隠しが社会制度のなかに構造的に組み込まれている以上、相当の変革を断行しなければ薬害防止などは望むべくもない。

 

 では変革は具体的にどんな内容であるべきか。

 

 第一に厚生省が、自らの責任をもっと認識すべきである。医薬品によって国民の健康が損なわれてはならないという点を確認し、揖保するのが国(厚生省)の基本的な責任だと周知徹底することだ。

 

 なぜこんな当たり前のことを今さら強調するのかといえば、厚生省には、真の意味での反省がないと断言できるからだ。現実の厚乍行政は今、理解できない方向に迷走しつつある。

 

 例えば、「医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構」という、語るも聞くもウンザリするほど長い名前の認可法人のケースがある。右の「調査機構」は、本来は薬害スモンの被害者救済のために一九七九年につくられた基金だった。

 

 製薬企業の拠出金と国の補助金でなりたつ同基令は九〇年までに九六億四二〇〇万円を集めた。一方、同年までの、薬害被害救済のために支払われた額は五億六〇〇〇万円余りにすぎない。

 

 収支は大幅黒字、つまり基金がたくさんあまっている。

 

 この間題を解消するために厚生省が行なったことは、まず製薬企業からの拠出金を、一〇分の一に減らし、それでもまだあまる基金を増やさないためにさらに五分の一に拠出金を減らすことだった。

 

 もう一つの解消法は、新たな什事を同基金に負担させることだった。例えば、新しい医薬品や医療機器の開発を支援することや、新薬の効能を確認する臨床試験を一部引き受けることなどである。

 

 本来の目的である薬の副作用による被害の救済事業にはきわめて不熱心である一方で、他の新しい役割は積極的に引き受けていくという方針はいくつかの理由で容認しがたい。

 

 第一に日本は先進諸国のなかでも市場に出なかった薬の追跡調査が非常に遅れている国だ。八八年の統計でみると、日本での副作用による被害やクレームは二六〇〇件たった。同じころ、 アメリカ政府の調太皿には七万件の副作用被害が報告されている。

 

 日本はアメリカの人目のほぼ半分である。日本での被害件数はアメリカのはぼ半分であってもよいはずだ。そうでないのは日本の医薬品がすぐれているからではない。調査機能が十全でないために、全国の病院でおきている被害を拾いきれていないためと分析されている。つまり副作用被害救済のための第一段階の仕事がきちんと果たされていないのだ。したがって「基金」が行なうべきは、本来の仕事にもっと積極的に取り組むことである。

 

 同時に被害を救っていく「基金」が、新薬の開発や薬の治験を行なってどうするのかという疑間が湧いてくる。薬をつくる側に立てば当然副作用被害などには目をつぶりたくなるだろう。マッチポンプではあるまいに、同じ組織がこのような相対立する役割を担うのはきわめて不健全だ。薬の安全性を担保する治験などは広くとらえればあくまでも厚生大臣の責任である。それを民間の認可法人に任せるのは間違いだ。

 

 迷走する厚生行政を本来の軌道に戻すためにも、スモン薬害被害への反省から生まれた同基金を、基金本来の業務に専念させることが重要である。