揺れるHIV訴訟の和解交渉

 薬害エイズの責任を国と製薬企業に問うHIV訴訟の和解交渉が今、揺れている。国は謝罪を拒否し、被告製薬企業五社は金銭的負担を拒否し、場合によっては和解協議から離脱するとの申し入れを裁判所に行なっていることが毎日新聞のスクープで判明した。

 

 裁判所が和解案として示した被害者一人当たりの一時金は四五〇〇万円である。これを企業と国がそれぞれ六対四の割合で支払うよう、第一次和解案では示された。企業側はまず、この六割の負担を多すぎるとし、国がもっと負担すべきだと主張している。

 

 このはかに裁判所は患者のための健康管理や治療体制の確立に最善を尽くすよう勧告したが、これらの費用いっさいの支払いを企業側は拒否し、全額を国が負担すべきだと主張しているというのだ。

 

 なんという倣岸だろうか。明らかに薬害によって引き起こされたHIV感染に対し、ほとんど介業としての責任を感じていないかのような主張である。

 

 この強硬主張の背景には外資系製薬企業のバクスター社の意向があるといわれている。同社は、一九八三年の早い時期から、厚生省に対し、加熱濃縮製剤の輸入承認を申請していた。加熱によって血液製剤に混入しているエイズウイルスが死滅するのだが、当時日本の厚生省はこの新しい加熱濃縮製剤を信頼せず、輸入承認の申請を却下した。

 

 このような経緯からみて、バクスター社側には、自分たちは、早々とHIV対策を打ち出していた。それにもかかわらず対策を実行させなかったのは厚生省である。したがってバクスター社側の責任は国ほど重くはないという考えには、それなりの理由もあるかもしれない。また、日本の裁判で薬害エイズに対する責任を認めてしまえば、諸外国でも同様の訴えをおこされ、裁判に敗れるかもしれないというおそれもあるだろう。

 

 その点け、理解できないわけではない。だが、そうであるなら、なおさらバクスター社は、製薬企業側のまとめ役として、金銭的負担を拒否するだけでなく、拒否に至る十分な根拠を自ら示すべきではないか。

 

 一体、どんなやりとりが厚生省とのあいたで、実際にあったのか。バクスター社が主張するように、国には大きな責任がある。しかし、厚生省側は、ありとあらゆる方法で、できるだけ情報を隠し、事実を隠してきた。同社が経済的負担に断固反対するのなら、そんな厚生省の責任をこそ具体的に明らかにする義務があるはずだ。それなくして、単に支払いを拒否するとしたら、それは企業のエゴイズム以外のなにものでもない。

 

 今、東京からはなれて地方に行けば行くほど、HIV感染者の治療耐性が欠如しているのに気が付く。例えば大分県の場合、私の知る限り、これまでに八人のHIV感染者が亡くなって  いる。地元で彼らを支えてきた人々の話を聞くと、この八人の患者は、エイズの発症予防やきちんとした治療を受けることができずに亡くなっていったという。「彼らが最新の医療を受けることができていたら、まだ元気に暮らしていたと思う」と、患者を支えてきた人々はいっていた。

 

 事実、他の県ではあるが、九州地方のある二人の患者は、健康な人の免疫数値が1000から一五〇〇であるのにくらべて、ほとんどゼロにまで免疫機能が下がっている。にもかかわらず、まあまあ元気に暮らしている。自分で車も運転し、会合にも出席する。

 

 それはこの二人が、月に二度の割合で東京大学附属医科学研究所に通い、最新の抗HIV治療を受けているからだ。HIVは今や必ず死ぬ病から、わずかな可能性ながら生き残りが可能な病へと変わりつつある。そのためにも最新の医療体制の確立がどうしても必要なのだ。

 

 バクスター社に、自分たちは本当にエイズ対策をとろうと努力したのだという自負があるならば、先述のように厚生省の責任を積極的に明らかにし、かつ、患者のための補償と医療体制を整えるべく、前向きのリーダーシップを発揮すべきであろう。