Q 一般に「日本人は、薬好き?Lと言われてますけど、本当はどうなのでしようか。先生のご意見をお聞かせください。(38歳 薬剤師 東京)
お年寄りの医療費が無料に近かった頃、漫才のネタにおもしろい話がありました。
老人クラブの面々が毎日近くの病院で顔を合わせていました。ある日、仲間の1人が現れませんでした。「()バ」)さん、今日は病気ですな」と1人が言ったとか。
また、お年寄りが集まり、それぞれが病院で処方された薬剤を机の上に並べ、お互いに講釈を述べていました。
1人が数力所の病院へ行って薬剤を処方されると、薬剤の量が多くなります。すべて飲むと朝食ぐらいの量になって危険です。
そこで、1列に薬剤を並べ、複数の病院から処方された薬剤のなかから、共通の薬剤だけを飲むというのが、彼らの生活の知恵だったという話もあります。
日本の病院では、多種類の薬剤が処方されます。これを「多剤療法」と言います。このような治療法は、日本独特のものです。
アメリカでは「モノセラピー」と言って、基本的に一つの病気に対し、一つの薬剤で治そうという「単剤療法」と呼ばれる治療法が好まれています。
このちがいの第一の理由は、「日米間の文化のちがい」にあります。
ご存じのように、英語においてはイエス、ノーの二つの答えしかありません。日本では「はい」「いいえ」をはっきり言わず、むしろ「ええまあ」「はあはあ」などという中間的なニュアンスを持った言葉がよく使われます。
このことは、日本では物事の決着をはっきりつけない、という習慣があるからでしょう。
アメリカの国土面積の約1/50の土地に、アメリカの人口2億7000万人の約半分、1億2500万人がひしめきあって暮らしている日本では、ささいなことで人間関係のトラブルが起きやすい状況にあります。
我々の先達は、このような条件のもとで生活してきたので、もめ事を起こさないため、あいまいな表現が生活のなかに定着したと言えるかもしれません。
このような背景から、欧米流の方法、一つの薬剤を使って効く、効かないと決めつけてしまう方法は、根づかなかったのでしょう。
第二の理由は、薬の副作用に対する考え方のちがいにあると思います。
欧米の人々は「薬には副作用はつきものだ」ということを前提にしています。
日本では「副作用があるのはよい薬ではない」と考える人が多くいます。
薬の副作用は、忌み嫌われています。薬の副作用なしに自然に病気を治したいという期待を持って、患者さんは病院へ行きます。その結果、治療する側も、薬剤の投与量をちょっと控えめにし、治療するという方針を立てざるを得ません。
薬剤の投与量が少なければ、薬の副作用は当然少なくなります。しかし、薬の効果も弱くなるので、複数の薬剤を処方しているのが現状です。
このように日本では一つの病気に対して2~3種類の薬剤を処方し、しかも、一つ一つの薬剤の投与量を少なめにし、薬の副作用を少なくする治療法がとられることが多いと言えます。アメリカの治療は、基本的には一つの薬剤です。
日本に比べて約2倍の薬剤の投与量を使い、効くか、効かないかはっきり決着をつけます。第三の理由は、日本人の性格が薬好きという要因もあります。
ちょっと頭が痛い、腹が痛い、風邪をひいたなどといっては病院、医院へ行きます。医師から「たいしたことはありません。家で暖かくして静かにしていればよくなります」と言われ、何の薬剤も処方されないと、患者さんは大変不安を感じます。何らかの薬剤を処方してもらわないと納得しない、という国民性でもあります。
『毛沢東の私生活』という本があります。中国の偉大な革命家、指導者であった毛沢束国家主席の晩年の生活について詳しく書かれています。彼は若い頃から呼吸器系が弱く、よく風邪をひいていたそうです。
医師団がいろいろな薬剤を勧めたにもかかわらず、彼は中国の伝統的な薬剤をがんとして飲まなかったそうです。彼が医師の勧めで素直に飲んだのは、西洋薬の抗生物質だけだったと書かれています。
ところが、日本ではどうでしょう。
中国4000年の歴史がある薬剤がもてはやされる傾向にあります。確かによく効く薬剤もあります。しかし、?と思う薬剤もあります。最近、アメリカでも中国の伝統薬が流行しています。建国200年を経過し、ようやく中国の伝統薬のよさを認識しはじめたようです。
日本は遣唐使、遣隋使の頃から中国の文化を多く学びました。中国とは、約1500年もの長い間の交流があります。
当然、本当に効く薬剤、?という薬剤の選別がはっきりしているはずです。ところが未だにできているとは言えません。イエス、ノーをはっきり区別しない、あいまいなところが日本的だと言えば、それはそうですが……。
話を薬好きに戻します。日本の医療で薬剤が多く使われる大きな理由は医療保険制度にあります。
ご存じのように、日本は国民皆保険制度です。
しかも、病院、医院で支払う時、診療費はほんの一部の支払いですみます。そうなると、人間心理として「料金が同じであれば、薬剤を多くもらわないと損」などとつい思ってしまいます。頭ではわかっていても、いざ支払いの段階になると、人間は損得勘定をしてしまいます。これが人間の煩悩、人間たるゆえんでもあります。
病院や医院で支払いの際、いったん全額支払い、その後、保険組合に申請して相当額を返還してもらう方法も考えられます。
しかし、この方法では、重症の患者さんはとても手続きなどできません。現在の方法に代わる、新しい方法を探さなければなりません。
日本の国民皆保険制度は貧富の差なく、すべての国民が医療を均等に受けることができるという点で、世界でもっともすぐれた制度です。ただ、医療機関が患者さんに代わって行う保険診療報酬の請求時に、診断や医療情報の説明よりも検査や投薬に高い点数がつけられています。このような事情も多剤併用療法になっている理由の一つかもしれません。
確かに、アメリカにも医療保険制度はあります。
しかし、保険に加入できる人は豊かな人々に限られています。医療保険に加入できない人が日本に比べれば圧倒的に多いのです。彼らは、自腹をきって薬剤を買わなければなりません。薬剤に対するコスト意識が自然と高くなります。効き目が同じであれば、安い薬剤を買うのはごくあたり前のことです。
しかし、欧米のように「モノセラピー(単剤療法)」で一つの薬剤をドカツと投与して治療していくのがよいのか、日本的に複数の薬剤でそれぞれ少なめの量で治療していくのがよいのかは、今後の検証に委ねられます。