菅大臣の目を盗み文書を書き換えた官僚

 九六年六月二五日の『毎日新聞』の小さな記事を読んで驚いた。薬害エイズ禍を教訓として薬害再発を防止するために、厚生省プロジェクトチームが菅直人大臣に提示した薬事行政改革案が、内容不十分として突き返され再検討されていると報じられていた。

 

 大臣に提出された改革案では、現在の医薬品の審査体制のあり方について、基本的に問題なしとしているのだそうだ。審査にあたる厚生省薬務局審査課の職員はおよそ四〇人だが、実質的な審査は中央薬事審議会で行なわれており、そこには約五〇〇人の委員がいる。この方式によって「常に最新の情報に接することができる」と高い評価を下し、改革の必要なしとしているのが、大臣に提出された改革案の柱である。実に呆れた話である。

 

 この審査方式の最大の間題点け、薬事審議会の委員が、製薬会社の依頼で新薬の臨床試験を担当する例が少なからずあるという点だ。

 

 審議会の委員である大学教授に、製薬会社が「研究協力費」なる資金を提供しているケースは数えきれないほど多い。現在は社会の批判や監視の目が厳しくなり、「研究協力費は以前ほどはない」と証言する関係者もいる。しかし、製薬業界から医療専門家への資金の流れは、「よりインフォーマルなかたち」をとって維持されているといわれ、実態はさほど改善されたとはとうてい思えない。

 

 そのような風土の中で、いったん新薬の臨床試験が始まると、メーカー側は自社の新薬を承認してもらうために、臨床試験の総括医の人選には特別気をつかう。なんといっても総括医は、その薬の総合的評価を下寸立場にあるのであるから、よい評仙をしてもらわなければならないからだ。メーカー側は常日ごろから関係の深い専門家や医師を、総括医に選ぶのが普通だ。

 

 薬害エイズの場合、加熱濃縮製剤の総括医は当時、帝京大学副学長の安部英氏たった。氏が加熱濃縮製剤の治験の時期を調整し(遅らせ)薬害エイズ禍を広げたということは、すでに広く指摘されている。その安部氏に対して製薬メーカーは、国際的な血友病関連のシンポジウム開催の費用を「賛助金」という名目などで支払っていた。また、安部氏の財団設立に際しては一〇〇〇万円単位の寄付金を出した。

 

 このような癒着構造のなかで、新薬の臨床試験が行なわれているのだ。そしてそれを承認するか否かを審査するのが、中央薬事審議会である。同審議会のメンバーと臨床試験担当医や総括医が同一人物であるなら審議会には審査をする資格などあるはずがない、というのが常識であろう。

 

 それを厚生省のプロジェクトチームは「間題なし」と結論づけた。答えを書く人間と採点する人間が同一であるような仕組みを、変える必要なしとするのは、一体どういう理由によるものか。

 

 この一件からすぐに思い出しだのが五月三一日の菅大臣の記者会見だ。菅大臣が一連の薬害エイズ禍の責任を問うために、厚生官僚は製薬メーカーには天下りを自粛する、との内容を発表したとのことだ。

 

 記者団に配られた資料は、しかし、大臣の手元にある資料とは異なっていた。大臣の手元の資料には記載されていなかった「当面」の二文字が、記者に配布された資料には以下のように付け加えられていたのだ。「厚牛官僚の関連企業への天下りは当面自粛する」

 

 「当面」という二文字が入ることによって厚生官僚の製薬メーカーへの人下りはいつか復活することになる。だが菅大臣の指示は、以後、一切の人下りを禁止することだった。

 

 官僚は自分たちの天下り先を確保し続けるために、大臣の日を盗んで「当面」という二文字を加え、それをマスコミに配ったのだ。しかも大臣には二文字抜きの資料を渡すという狡猾さである。

 

 自らの利益を守るためには、なんでもしてしまうこの体質の人々が、今回の改革案を提出したプロジェクトチームの人々である。そして恐ろしいことは、プロジェクトチームのメンバーのみならず、おしなべて厚牛官僚は同じような体質に染まっていると思える点だ。

 

 その典型が薬務局長時代にサリドマイド被害を出し、誤ちは繰り返さないと誓った元薬務局長松下廉蔵氏である。氏は厚生省を退任してミドリト字に天下ってからは、同社社長となった。薬害への反省など早々に忘れ去り、民間企業の長として、今度は企業の利益を優先させることによって薬害禍を拡大させた。

 

 厚生省薬務行政の徹底的改革が必要とされる。