「薬害根絶の碑」建立に対する厚生省の抵抗

 厚生省がある碑のことでゴネている。死者の数が四七八を超えた薬害エイズに対する反省から、薬害を繰り返さないとの誓いを碑にして後世に残寸との合意ができたのが九七年八月だった。ところが碑建立の詰めの作業が患者・遺族らと厚生官僚間で始まったとたん、予想外の問題にぶつかった。

 

 第一に患者と遺族の側は碑名を「薬害根絶の碑」または「薬害根絶誓いの碑」としたいとするのに対し、厚生省側は碑名は不必要として対立する。

 

 厚生省の医薬品副作用被害対策室の室長補佐中田章氏が、「碑名に薬害根絶の言葉を入れると副作用も薬害に入ります。しかし副作用の根絶はありえないのです」と話すのに加え、患者、遺族代表らとの話し合いの席では吉武医薬安全局企画課課長が以下の主旨のことを述べている。

 

「薬害根絶をこの碑が訴えていることは明らかであるが、碑名として入れると誤解する人も出てくる。薬害を副作用ととる人かおり、副作用は根絶できない。薬害根絶の表現は、厚生省は適切でないと考えている」

 

 官僚の屁理屈のいやらしさがふんぷんと伝わってくる。薬害根絶としたところで薬害をすべての副作用だと拡大解釈して厚生省が全副作用の根絶の誓いをたてたとはだれも考えはしまい。

 

 薬には副作用があることはがれでも知っている。しかし、血液製剤によるHIV感染は副作用といってすむようなものではない。「命を奪う毒」とかつて血友病患者が述べたが、そういうものなのだ。

 

 この「毒」には、HTIVの破壊力に加えて、危険を知りながら対策もたてず、患者をないがしろにした官僚行政の「毒」も含まれる。マスメディアが川内患者の高いHIV感染率を報道したとき、実態を知られ担当者として責任を追及されることをなによりも恐れ、患者のことなど小指の先ほども考えなかった厚生官僚の憎むべき自己保身の「毒」も含まれる。

 

 「薬害」を碑名に入れたいとの気持ちは、頭痛薬や腹痛薬のちょっとした副作用とは比較にならないこれら諸々の「毒」を飲まされ続けた人々の振り絞るような気持ちなのだ。

 

 さらに厚生省は碑文には「薬害エイズ」の文言も被害者数も明記したくないという。理由を前述の中田氏はこう述べた。「碑文にはサリドマイド、スモン、HIV感染の三つを並べているので、エイズだけに薬害とつけるのは不適切です。かわりに碑建立に至った経緯のところに『薬害エイズ事件を厳粛に受けとめ』と書く案が出ています」

 

 中田氏の上司の石塚栄室長、前述の吉武課長の両氏ともに言を左右にして「薬害エイズ」の文言を碑文に入れるのを避けようとしている。

 

 そして一八〇〇人から二〇〇〇人とされている被害者数は「多くの被害者」という表現にしたいというのだ。「厚生宵調査で感染者数が確定されないから」と石塚室長は説明している。

 

 血友病患者総数は約五〇〇〇人。女部英氏の患者は八四年の調査では感染率約五〇%だった。明確な調古結果の出ている大分県佐賀県も感染率は五○%だ。とすると、被害者は二五○○人という計算もできる。確度が低いというなら「一八〇〇人を超える」とか「少なくとも一八〇〇人」という表現でもよいはずだ。「多くの」という漠たる表現では薬害エイズ被害の凄まじさは伝わらない。

 

 また、患者らは碑は厚生省前に建てたいと願っている。薬害を繰り返さないために、厚生省にも国民にもこの悲劇を忘れないでほしいとの気持ちからだ。ミドリ十字はグリスマシンについて重大な嘘の宣伝をしていた。

 

 三好医師の自筆のメモがそれを物語っている。八六年一月二三日付のこの文書は三好医師が別の医師に処方を説明するために書いたものだ。そこには「ミドリ、エイズフリー」と書かれている。法廷で三好医師はこう述べた。

 

 「エイズフリーというのは私の語彙ではありません。たぶん、ミドリ十字の(販売担当の)上島さんから問いた言葉をそこに書いたと思います」

 

 この証言は、当時、ミドリ十字が、グリスマシンの原料となる血漿は、実はアメリカから輸入していたものであったにもかかわらず、「すべて日本人の血液が原料です」と虚偽の宣伝をしていた事実につながっていく。

 

 大阪地検によって逮捕され起訴されたミドリ十字の元社長松下廉蔵氏は、虚偽の宣伝の事実がわかったとき「今訂正するとこれまで嘘をついていたことが世間に知られてしまう。このまま(嘘をつき続けて)いくしかないだろう」といって、役員会で嘘を押し通すことを決めた旨、法廷で述べている。

 

 さて厚生省の責任である。青沼隆之検察官が三好証人に質した。

 

―もし厚生省からグリスマシンによってエイズ感染の危険があるといわれたら、患者に投与しましたか。

 

 「いいえ、しませんでした」

 

ミドリ十字が安全な日本の血液によってつくられていると虚偽の宣伝をしても、厚生省が危険だといえば投与しませんでしたか。

 

 「しませんでした。国の機関の、公の警告を無視して投与することはありません」

 

 血友病患者が揃って厚生省の松村課長をたずねて「非加熱濃縮製剤を回収するよう回収命令を出してほしい」と頼んだとき、冷たく拒否した氏は、法廷で暗い表情で右の尋問を聞いていた。氏が患者の命や安全についてほとんど配慮しなかったことは明白だ。

 

 では、薬害エイズ以来、厚生行政はこの点についてどれほど変わったのか。厚生行政に目立った変化が一つある。「緊急安全性情報」といわれる通達が最近になって急激に増えたのだ。

 

 これは、特定の薬に危険な副作用などがある場合に、安全性に気をつけるように、投与も慎重にするようにという意味で出される警告である。以前は年に数えるほどしか出されなかった同情報が「このごろはすぐに机の上に数センチの高さになるほど出されます」と三好医師は述べた。これは、厚生省や製薬メーカーがこころして薬の安全を目ざしているのではなく、警告を出すことで副作用の事故がおきたときなど、責任を現場の医師に押しつけることが目的だといわれている。

 

 真に薬の安全性を目ざすのなら、厚生省とメーカー間の天下りをきっぱり廃正し、癒着をなくすこと、薬事審議会での新薬の承認のプロセスを透明化することなどが必要だ。このままでは必ず、再び三度、薬害が発生するだろう。