ペスト、Plague (Pest):黒死病 Black death

 I 臨床的特徴

 1.症状 リンパ節炎、敗血症および小出血斑を皮膚に生じ、重症例では高熱に加えて中毒症状、意識障害、ショックなどを伴う急性細菌感染症である。臨床的に2型に大別される。

 1)腺ペスト 普通に見られる型であり、感染部位の領域リンパ節が疼痛を伴う腫脹を来す。菌が血流中に二次的に侵入し、髄膜そのほかの部位に感染を引き起こす。ときに二次的に肺炎を併発するが、原発性肺ペストの感染源になり得る。まれに原発敗血症が起こる。

 2)肺ペスト 極めて伝染性が強く、重篤な症状を呈する。血痰を伴う肺炎像を呈し、喀痰中のペスト菌証明により診断を決定する。

 四肢末端、鼻の先端などの小出血斑は暗紫色に変色する。かつてはこのような状態のまま多くの者が死亡したために、黒死病Black death と呼ばれた。

 2.病原体 ペスト菌Yersinia pestis。

 3.検査 腺ペストは腫脹しているリンパ節の穿刺液、敗血症を併発している場合、血液または脳脊髄液、肺ペストは喀痰中よりペスト菌を直接塗抹または培養により証明する。蛍光抗体法は特異的で有意義であり、特に散発例の診断に役立つ。

 Ⅱ 疫学的特徴

 1.発生状況 ペストの流行は、ペスト菌保有齧歯類の動物とヒトの接触の機会に起こる。わが国では1926年(大15)横浜市に発生した8例を最後に、現在まで患者発生も輸入例もない。世界のペスト発生報告は、以前はサイゴン(現在ホーチミン市)を中心としたベトナムに最も多く見られていたが、ベトナム政変以後は報告例数は著しく減少している。アフリカではタンザユアに1983年以来年々多数の発生報告があり、87年356例(死亡34人)発生、またザイールは同年474例(死亡160人)の発生報告があり、全世界の1、043例(死亡214人)の80%以上を両国の発生が占めている。南米ではブラジル、ペルーに少数の発生報告が毎年見られている。

 ところが、 1994年インドのスラトに突然肺ペストの流行がおこり、たちまちのうちにインドの各都市に発生が波及した。数週間に2、500人の患者発生と50名の死亡が報告された。近隣の諸国は、インドへの国境を閉鎖し、またインドへの航空機の発着を中止する国が相次いだ。わが国でも、インド駐在の商社員を引揚げる事態となった。正に14世紀のペスト大流行を想起するようなパニックが、インドを中心におこった。

 しかし、患者の隔離、ネズミ族の調査と駆除、ノミ駆除を目的とした殺虫剤散布の徹底に加えて、患者はテトワイクリンなどの抗生剤によって有効に治療を受けることなどによって、数か月の間に“黒死病”のパニックも漸次鎮静化された。

 2.感染源 腺ペストの直接感染源は感染ノミである。肺ペストは患者の喀痰および喀出される飛沫が感染源となる。病原巣は野生齧歯類。ほかにウサギ、野ウサギ、肉食動物がペスト菌を保有することもある。

 3.伝播様式 感染ネズミを吸血したノミ、特にXenopsylla cheopisの胃の中でペスト菌は増殖し、ヒトを吸血する際にこれ允吐き出し感染を起こさせる。ヒトノミPulex irrtansによるヒトからヒトヘの伝播もあり得る。感染動物の膿から直接感染する場合もあり得る。肺ペストは飛沫感染による。

 4.潜伏期 腺ペストは2~6日、肺ペストは2~4日、より短い場合もあり得る。

 5.感染期間 腺ペストはヒトからヒトヘは伝染しない。感染ノミは適当な温度と湿度の下では、数日、数週、ときに数か月間感染性を保つ。最も感染性の高いノミは、食道がペスト菌によって閉塞された状態のいわゆる“blocked” fleas (ブロックされたノミ)であるが、その寿命は短く3~4日である。肺ペストは気象および社会環境がその伝染性を左右するが、特に非衛生的な、かつ密集した生活環境において流行するo

 6.ヒトの感受性 ヒトの感受性は普遍的であるが、流行地においても軽症に経過する軽症ペストpestis minor が少なからず見られる。症状の軽重に影響を与える宿主条件があることは否定できない。

 Ⅲ 予防対策

 A 方針

 現在ペストはわが国に常在しないが、国外から侵入するおそれのある地域においては、状況に応じネズミの駆除に努めること。またいったん国内に発生した場合は、病毒の定着することのないよう早期絶滅を図り、徹底的防疫を実施しなければならない。

 1.港湾地域、ことに外航船の出入する港では、常時そのネズミとノミの調査を行う。

 2.建築物の防鼠処置および繁殖個所や隠棲箇所(特にドックや倉庫内)の除去。

 3.船舶などの定期的燻蒸法によるネズミ駆除。これは特に検疫港で行う。

 B 防疫

 1.患者の届出 ペストについては、疑似症も法の適用を受けるものとされているが(伝染病予防法第2条)、患者の決定は臨床症状によるほか、必ず細菌学的検査結果によらねばならない。

 2.隔離 ペスト患者および疑似症は特別の理由のない限り、直ちに伝染病院または隔離病舎に収容し、それ以外には収容しないこと。

 3.交通遮断 病毒蔓延のおそれがあるときに行う(伝染病予防法第8条、同規則第29条、同法第19条)。

 4.消毒 喀痰、膿性排泄物およびそれらに汚染された物品、患者の屎尿。なお、患者死体の取り扱いは厳重な細菌的注意を払うこと。

 5.行動制限 腺ペストの接触者は、殺虫剤としてダイアジノンまたはマラソンを散布し、6日間の行動監視を行うo肺ペスト接触者にも同様の措置をとり、6日間4時間ごとの体温記録を行わせつつ監視することが望ましい。この場合、発熱と同時に治療を開始する。

 6.予防接種 1976年(昭51) 6月に改正公布された予防接種法(法律第69号)によると、ペストは同法の対象疾病より削除された。ただし、緊急の必要がある場合、政令で定めることにより臨時の予防接種として行い得る。また、発熱症状が出現したときは、直ちに特異療法を開始すること。なお、予防接種の効果については必ずしも十分でないので、流行時その周辺地区の人々に対しては化学予防が必要となる場合もある。

 7.特異療法 ストレプトマイシン、テトラサイクリンを早期に投与すると極めて効果的である。肺ペストの場合も、発病後8~24時間内に治療を開始すれば予後はよいが、それより遅れると効果が期待できない。抗菌薬によく反応して症状好転した例が、しばしば5~6日目に再び発熱することがある。ほかの細菌汚染による二次肺炎のような合併症を考えて、喀痰の塗抹および培養検査をする必要がある。

 C 流行時対策

 1.すべての死亡者を検査し、必要なときは死体解剖や実験室検査を行う。医療機関との密接な連携が必要である。

 2.発生地区を中心とした周辺の広い範囲にわたり徹底的ノミ駆除を行う。

 3.発生地区および周辺の鼠族駆除の実施。

 4.現場作業者の殺虫剤散布の徹底。なお、忌避剤(リペレント)を毎日皮膚に用いることは有効な手段である。

 5.必要な場合、予防接種と化学予防を考える。

 D 国際的対策

 1.ペスト非常在地域に発生した際は、 WHOへ直ちに報告。また、齧歯類の間に新たなペストが発見され、または再燃した場合もWHOに直ちに報告する。

 2.国際保健規則に従って、船舶、航空機そのほかの交通機関の検疫業務を行う。

 3.すべての船舶は、原則としてネズミの棲息があってはならない。

 4.港および空港の建物内のネズミの検査と6か月ごとに殺虫剤の散布、ネズミの駆除に努める。

 5.現在、入国者に対して予防接種を要求している国はない。