バイオ技術

第二次世界大戦直後の1945年ごろ、終戦のどさくさの中で細菌性赤痢の流行が多発し、年間届出患者数は11万人を超すに至りました。このころサルファ剤が大量に供給され、赤痢に極めて有効な薬剤として賞用されました。ところが1950年ころから赤痢菌は急速にサルファ剤耐性となり、その割合は80%以上に達し、信頼のおける治療剤の座から滑り落ちてしまいました。幸いにして戦後の混乱から立ち直りつつあった日本では、新たに発見されたストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリンの生産が開始され、1953年頃から赤痢の治療に使われて優れた治療効果を示しました。これらの使用による致死率の低下は見事なものでした。
ところが1957年頃から、その生産量と使用量の増加とともに、赤痢菌はストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリンに対しても急速に耐性化していきました。しかもこれら耐性菌の多くはいわゆる多剤耐性菌で、これら抗菌剤のすべてに耐性という厄介なものでした。耐性のパターンはますます多様化しましたが、基本的には4剤耐性菌に、さらにその後導入されたアンピシリンやカナマイシンに対する耐性が付加された5剤耐性菌や6剤耐性菌です。このように、新しく導入された新抗菌剤に対する耐性が付加されていくのは、Rプラスミド上にトランスポゾンが挿入されたためです。幸いにして日本では1960年頃から世の中が落ち着き、主として社会的・経済的要因によって細菌性赤痢の患者は減少していきました。
1959年頃には、最近の獲得する抗菌剤耐性はもっぱら突然変異と選択によるものと考えられていました。この年の日本医学会総会シンポジウムでは、多剤耐性菌の出現の機序について、当時の突然変異と選択説でこり固まっていた学会の雰囲気からすれば随分と思い切った仮設がある教授から提示されました。それは、多剤耐性菌は突然変異と選択によって生ずるものではなく、腸管内で、何かの作用で一挙に生ずるという仮設でした。どうしてこういう突飛な考え方が出てきたのでしょう。その根拠となったのは、当時の疫学や微生物遺伝学の常識では説明のつけようのない現象が見られたからです。
第一に、同じ感染源による流行例で、初めは抗菌剤が効く感受性菌で始まったのに、やがて4剤耐性菌による患者が出現してくることがしばしばありました。ファージによる溶菌タイプなど、由来の異同を判断するマーカーが感受性菌と4剤耐性菌は同じであったから、ある患者は感受性菌によって、他の患者は4剤耐性菌によって赤痢になり、複数の流行が混じっているのを一つの流行と誤認したという可能性はほとんどありませんでした。
第二に、個人レベルで、初め感受性菌を排出していた患者がただ一剤だけで治療されたのに、そのうちに4剤耐性菌の排出するようになりました。この場合も由来の異同を判断するマーカーは感受性菌も4剤耐性菌も同じであったから、2種類あの菌によって重複して感染したとは考えられませんでした。
第三に、流行例からも散発例からも多数の多剤耐性菌が分離されたが、その中でも4剤耐性菌が圧倒的に多く、一剤耐性菌よりはるかに多かったのです。一剤ないし3剤耐性菌よりも4剤耐性がそうやすやすと出てくるはずがありません。
腸内細菌科に属する細菌において、染色体上の4つの遺伝子の突然変異によって4剤耐性菌が生ずるのがどんなにあり得ないことかを説明してみましょう。健康な人の腸内や皮膚の常在菌叢にいる総細菌数は、成人男性の体全体を構成する細胞に匹敵し、およそ1000000000000000です。腸内細菌叢を構成する細菌のうち、腸内細菌科に属する菌は大目に見てもたかだかその100分の1で、成人一人がたかだか1000000000000しか持っていません。
この種のデータを詳細に検討した後、この『何か』とは多剤耐性大腸菌ではないだろうか、多剤耐性大腸菌によって感受性赤痢菌が一挙に多剤耐性を獲得するような、何かの相互作用が起こるのではないだろうか、と考え、多剤耐性大腸菌と感受性赤痢菌を混合培養することによってこれを証明しました。今となれば大腸菌赤痢の関係は、どちらが卵でどちらが鶏かは不明です。しかし、この多剤耐性伝達現象の発見は、多剤耐性という性質が感受性菌に一挙に伝達されうるものだということを明白にした点において画期的な発見でした。
引き続いて、主として日本において多剤耐性遺伝子を伝達するRプラスミドの研究が華々しく進展し、日本は世界の最先端をつっ走り、主として日本の研究者によって膨大なデータが集積されました。やがて眉に唾をつけて傍観していた欧米の研究者も急ぎ参加して、Rプラスミドの研究は世界に広がり、最もホットな研究領域の一つとなっていきました。その結果、耐性菌問題という立場から言えば、現実の病巣に由来する耐性菌の発生機序としては、突然変異と選択よりも、プラスミド性のものの方がはるかに重要にであることが認識されました。今医療現場の耐性菌問題はますますその重要性を増し、新聞をまぎわす社会問題と化すに至っています。
他方、多剤耐性伝達現象の発見は、その後のRプラスミドや病原性プラスミドの研究、さらには遺伝子操作技術におけるベクター制限酵素の進歩など、輝かしいバイオテクノロジー時代の幕を開けさせた契機の一つとなりました。